青木せい子の今朝の表現

どこへ電話しようかなって考える前に、既に意識の世界では自動で電話開始しているようです。
一方的に電話をかけているのではなくて、相手もこっちに開かれている時だけ通話が始まっているのかなと思います。
意識の世界は、いくつもの層になっていて、いくつのもの面で出来ていて、同時に複数の存在の色んな層の色んな面と通話が可能です。
電話をかける側と受ける側、「あっち」と「こっち」が存在していて初めて通話が成立しています。
二箇所点があって初めて線が引けるのと同じです。
どっちがかける側で、どっちが受ける側なのかは、どっちがどっちとは言えなくて。
瞬間のうちに同時に存在していて。。。
ガチャガチャで得た黒電話。
ひっくり返ってポンの世界では光を放つ白電話になりました。
あっちの電話も今存在し始めました。
キラキラ光る青い波は、ひっくり返ってポンの世界では金色の波になりました。
読んで下さってる「あなた」の電話したい相手は誰ですか?
私は、今、歴代の犬たちに電話したいです。
会いたいです。
私は未だ幼くて、ちゃんと愛することができず、ごめんなさい。
そう思った瞬間に、彼らは私とひとつになっているのを感じます。
愛の中で。
箱庭療法とSNS

箱庭療法の提供は、お休みしています。
でも、気づきました。
こうやって四角い画像の中に収めるプロセスは、既に箱庭の表現と同じなのです。
SNSは、しんどいな、と思うことがあります。
でも、SNSの利用者の一部は、それぞれが、それぞれの箱庭を展開しているのかもしれませんね。
だとすれば、私はそういう場所へ参加するだけで、癒しと進化の体験を、皆と共有していると考えることができます。
無理に箱庭療法を提供する必要もなく、私が私として正直な自分の内面を、四角い画像の中に収めていくことが、自分自身の進化にもなり、見る人の共感とともに、その人の進化にもなります。
また、私が誰かの投稿に、共感しつつ関わっていくことが、全体への癒しと進化へのプロセスなのかもしれないと思うのでした。
でも、気づきました。
こうやって四角い画像の中に収めるプロセスは、既に箱庭の表現と同じなのです。
SNSは、しんどいな、と思うことがあります。
でも、SNSの利用者の一部は、それぞれが、それぞれの箱庭を展開しているのかもしれませんね。
だとすれば、私はそういう場所へ参加するだけで、癒しと進化の体験を、皆と共有していると考えることができます。
無理に箱庭療法を提供する必要もなく、私が私として正直な自分の内面を、四角い画像の中に収めていくことが、自分自身の進化にもなり、見る人の共感とともに、その人の進化にもなります。
また、私が誰かの投稿に、共感しつつ関わっていくことが、全体への癒しと進化へのプロセスなのかもしれないと思うのでした。