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分離と統合 〜 分離は悪いものか?

「分離」 ライトランゲージアート by 青木せい子
ライトランゲージアート by 青木せい子。診察室の青赤鉛筆。なんとなく描きたい、というよりも、手が震えだし、そのエネルギーに委ねて描いたもの。

私たちは、分離しつつ、統合を学びます。

 

根源から飛び出し、無数に分離を繰り返した私たちの魂。

その魂のスピリチュアルな進化の最終ゴールは、根源との統合です。

魂のソースに戻るということです。

魂はアイデンティティを持っています。

それは、完全にではないにしても、根源から分離しているということです。

 

根源から分離した魂は、いくつもの魂へと分離を繰り返し、分離の中で、互いの統合をしつつも、方向としては、統合へと進みます。

 

最終的には、真逆の要素を備えた2つの魂のそれぞれが、魂としての集大成を果たし、その2つの魂が統合をすることによって、やっと根源へと戻っていきます。

これは、ツインソウルのお話ですが、私は、それを信じています。

 

繰り返し生まれ、繰り返し死を迎え、魂へと戻りますが、魂でさえもない一体化した根源へと、いつか戻るのです。

 

根源には、分離したように存在する様々な魂のブループリントが存在しています。

ブループリント内では、全てが完全な光の種を備えており、その光の全ての性質が融合し、一体となっており、まるで静かに静止したように存在しています。

言葉での説明は難しいのですが、その存在は、存在であるにも関わらず、実体のないものなのです。エネルギーとしても存在はしていないのです。

これは、今の私が感じていることです。

 

根源から持ち込んだ、魂の光が統合を果たしていく時、根源にそれが戻され、統合され、分離からくる体験が意味のあるものへと変わっていきます。

 

分離していないと、統合そのものが存在しません。

その分離というものを否定しますか?

 

 

私たちの肉体は、最初はひとつの受精卵です。

それが幾つにも別れて分割されていきます。それも分離です。

分離しつつも、同じ性質の細胞同士は、惹きつけあっていて、集合となっていて、それは組織となり、組織が集まり、心臓や肝臓や腎臓などの器官となり、それらの器官が一体となって統合された状態の身体を形成します。

そのプロセスも状態も、分離と統合が同時に発生しています。

 

 

分離は、この世に必須の要素です。

肉体のレベルでも、魂のレベルでも、私たちは、分離して存在をしています。

 

また、エネルギーの基本的構造であるトーラス構造も、中心から離れ、ぐるっと回って別の方向から再度中心へ戻ります。これも、エネルギーが中心(根源)から離れては戻ること(統合)を常に行う「分離と統合」の循環を時間的空間的な流れで描いているのではないかと感じています。

 

 

私たちは、分離しているからこそ、愛し、統合することを経験し、学べるのです。

そして全ての学びが、根源へと戻されて、豊かになっています。

私は、それを美しいと感じます。

 

 

 

 

人と人が違う意見を持ち、向き合って立つこと、それは、否定すべきことではないと思います。

大切なのは、対立した時に、相手を理解しようと、心を相手に寄せること、相手を理解し、その対立を自身の中に統合できた時、私たちの共感の幅が広がり、それこそがスピリチュアルな進化だと思うのです。

 

相手のことを「わかろう」とする時、私たちの中では何が起きているでしょう?

 

相手と自分は既に違うことを認識しています。

違うから、わかろうとするわけです。

理解と共感をしたいと感じるのです。

わかりたくない人もいるかもしれませんが、このページを読んでくださる方は、おそらく、わかりたい人だと思って書いています。

 

以前にある方から「わかる」の語源が「分ける」からくるという話を聞いたのですが、内容を話忘れており、再び聞いてきました。

 

「分ける」は、カテゴライズ、分類をするということであり、それにより、「分かる」が生じる。

 

わかるためには、分離させないといけないのだと思います。

その分離した小さな概念のいくつもを、最終的に綺麗に統合できた時、それは、「分かる」という形になるのだと思います。

 

私たちは、言葉を使って、脳で「分ける」作業を行なっています。

その作業の結果、自分の中で「わかる」が生じるのです。

ここには、確かに分離が存在していますが、分けた後で、繋ぎ合わせる作業をして、概念や、意味のまとまった言葉は出てきますので、分離と統合が存在していることになります。

 

さて、分離は、否定すべきことでしょうか?

 

 

 

先日、「言葉は分離を招く」からいけないというニュアンスの発言を耳にしました。

 

はい、書いている流れからも、確かに言葉が作られる時、分離を使っています。

言葉は概念を作るものだからです。

 

けれども、概念は、正しい繋ぎ合わせを同時に行なった結果です。

概念として形成された時、その時は、自己への統合された時と言えます。

 

分離を否定したい気持ちになるのは、言葉により削ぎ落とされてしまう感覚があるからかと思います。

その感覚は私の中にもあります。

ですから、「言葉により伝えることができるのは、感じていることのうちの0.01パーセント未満だ」と、ライトランゲージの受講生さんによく言います。ですから、まずは感じなさいと。

 

けれども、感じた後で、例えば、クライアントさんが、「そのライトランゲージはどんなことですか?」と、私が感じたことを知りたいと伝えてきた場合には、できる限りの伝わりやすい言語で、なんども表現を変えて説明をし、時間とエネルギーをかけ、相手に寄り添うことをします。

 

それは、いつか時間がたった時に、クライアントさんが「わかる」へ導かれるための必須の要素になるからです。クライアントさんに統合が起きた時の確証となるからです。

 

言葉では、感じていることの 99.9 パーセント以上が抜け落ちてしまいます。全てを伝えることはができません。

 

でも、だからこそ、相手に寄り添い、相手に合わせた言葉で丁寧に説明を重ねていくことを、私はしたいと思います。また、相手からは、その人の感じていることの表現を、丁寧に私の体でききたいと思うのです。

 

コミュニケーションは、分離と統合ですね。

 

 

 

長い文章、お読みくださりありがとうございました。

愛を呼び起こしつつ、愛の力で言葉と言葉を繋ぎ合わせて。。。

 

青木せい子

 

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